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第20回歴史回廊らくたび散歩「洛北の二大寺社!大徳寺と上賀茂神社を訪ねて」を開催しました!

2025年度最初の歴史回廊らくたび散歩は、洛北の二大寺社である大徳寺と上賀茂神社を中心にその周辺の寺社を散策しました。今回も京都歴史回廊協議会の幹事で株式会社らくたび代表取締役の山村純也さんにご案内いただきました。雨により足元が悪い中でしたが、38名の参加者は、カッパや傘をさしながら洛北の地の歴史を堪能されました。

 

集合場所である地下鉄鞍馬口駅を出発し、鞍馬口通りの道中に見えてきたのは、2017年に建碑された薩長同盟にゆかりのある石碑です。元は近衛家の別邸があり、この別邸で薩長同盟が結ばれたのではないかと近年囁かれているそうです。

京都の町を西へと進んでいくと、岩栖院の庭園であった擁翠園があります。細川満元が築いた邸宅が現在ではその庭園だけが残り、現在はアークレイ株式会社が研究所として使用しています。

擁翠園を後にし、昨年の「光る君へ」で反響のあった紫野エリアへ。最初の目的地に向かう前に今回は+αで瑞光院の解説を。現在の瑞光院は、山科に移転しています。

そして、最初の目的である玄武神社に向かいます。玄武やすらい祭りが有名で、その歴史は今宮神社よりも古いのだとか。やすらい祭り発祥の三輪明神も本殿の隣に祀られています。山村様の解説を聞いたうえで、時間を取って参拝しました。

玄武神社を後にし、源氏物語のゆかりの土地でもある雲林院を訪ねました。僧正遍照が、もとは離宮であった雲林院を仏寺に改め、住職も務めた歴史のあるお寺です。京の街にひっそりと佇むお寺ですが、百人一首の歌碑や牛若丸の言い伝えなども存在するなど歴史上の重要人物と縁深く、山村様の解説を皆さん熱心に聞いておられました。

続いて、今回の目玉スポットの一つである大徳寺へ。大徳寺には、朱色の山門である金毛閣があり、千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられる事件の一因となった逸話としても有名です。開催日は日曜でしたが、他の京都の神社仏閣に比べ静かな境内を山村様の案内のもと、自由に散策しました。

 

大徳寺を出発後、以前(株)らくたびの事務所があった通りを抜け、総神社に向かいます。
上賀茂神社が管理している総神社は、大宰府左遷の前に菅原道真が立ち寄ったことでも有名です。先ほどの雲林院でも山村様のお話に上がった牛若丸が、この地で生まれたとされその父である源義朝も御祭神として祀られています。

住宅街へと歩みを進めると久我神社が見えてきました。こちらには、八咫烏とも言われる賀茂氏の最初の御祭神も祀られています。そのため、下鴨神社や上賀茂神社の神紋である「双葉葵」がこちらの久我神社でも使用されています。山村様の解説によると、以降、賀茂氏の流造と呼ばれる神社の建築様式が全国に広まっていったと言います。

久我神社の参拝後、御土居を感じられる場所へと向かいます。御土居は土地の開発により当時のまま現存する場所は少くなっていますが、高低差などにより感じることが出来ると山村様は説明します。

御土居を抜けると、御薗橋に差し掛かり、いよいよ最後の目的地である上賀茂神社へ。
一の鳥居の前に新しい鳥居が建てられています。一の鳥居をくぐると左手には走馬を行う馬場や右手には桜の木があります。そして、二の鳥居を進むと有名な立砂が。こちらは神山に見立てて作られ陰と陽を表しているのだそうです。

 

手水舎で身を清め、御本殿を参拝する前に片岡社へ。上賀茂神社の御祭神のお母さまが祀られています。また、こちらの片岡社には紫式部が参拝した形跡であると知られる和歌が残されています。漸く雨も上がり、上賀茂神社に御本殿を参拝した後、山村様の解説を経て今回のらくたび散歩は無事終了いたしました。

今回の参加者は、山村様の講義を受けたことがある方が多くいらっしゃいました。
終了後に感想を伺ったところ、講義は受けたことがあるが実際にフィールドワークのような形で参加したことはなかったのでよかった、また参加したいなどといったお声をいただきました。

皆さん大いに洛北の地を堪能できたのではないでしょうか。
山村様、この度も素晴らしいご案内をありがとうございました。

記事作成・写真提供:立命館大学・文学部・2回生
村澤花桜里