6月26日(日)14時から、北野天満宮において、「平安京の天門 北野天満宮の知られざる歴史」を開催しました(参加者20名)。
はじめに、文道会館ホールにおいて、東川楠彦文化課長に「北野天満宮の歴史と菅原道真公」というテーマでご講演いただきました。講演の中で東川課長は、「①どこに祀ったか、②誰を祀ったか、③誰が祀ったかを明確に整理することで、その神社の縁起を理解することができます。北野天満宮の場合は①平安京の天門の位置に、②菅原道真公をご祭神とし、③村上天皇や一条天皇など歴代の天皇がお祀りになられた神社です。したがって、天門の位置にある神社が担う御神徳と菅原道真公ご本人由来の御神徳が合わさり『天神信仰』として確立していき、それを天皇がお祀りになった由緒ある神社ということとなります」と述べられました。そして、御本殿(国宝)に飾られている桃の彫刻のもつ意味など(菅公の霊を鎮めるためのものと伝えられています。桃はイザナギノミコトが黄泉の国のイザナミノミコトから逃れる際に投げつけたという神話から、「神聖なもの」の象徴として刻まれています)、神職に口伝されている「知られざる歴史」をご紹介いただきました。
次に楼門で一拝した後、手水で手を清め、御本殿に昇殿して正式参拝をさせていただきました。1607年に豊臣秀頼公により修復された御本殿は、八棟造という建築方式で、拝殿と本殿の間に石の間が配されており、外の喧騒を隔てる重厚感ある建物の中は、静寂で清らかな空気に包まれていました。
正式参拝の後は、立命館大学の学生観光ボランティアガイドにより境内を散策しました。御本殿北西部の「絵馬掛所(一願成就所)」から、「御后三柱」を経て、御本殿が造営される前から北野の地に祀られていた「地主神社」を巡りました。そして「楼門」から同社に向けて真っ直ぐに伸びる参道は元々地主神社にお参りするための道であり、御本殿を造営するにあたっては、少し西にずらした位置に配置されたこと、それ故に「筋違いの本殿」と言われ、北野天満宮の七不思議の一つに数えられているとの説明がありました。参道を南下し、「大黒天の燈籠」(河原町正面にあった大黒屋を中心とする質商組合によって奉献された石燈籠。台座にある大黒様の口に小石をのせて落ちなければその小石を財布に入れて祈るとお金に困らないと言われている)、「星欠けの三光門」(日・月・星の彫刻があるために「三光門」と呼ばれますが、北野天満宮の三光門には星がなく、代わりに三日月が彫られています。一説によると平安京の御所から天皇が遥拝された際に、三光門の真上に北極星が輝いていたため、敢えて星を刻む必要がなかったのではないかと伝えられています)を経て、御本殿前にある飛梅伝説のある梅の紹介がありました。菅原道真公が大宰府に向けて旅立つ際に自宅に植えてあった梅に向かって「東風吹かばにほいおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と歌を詠まれたことはよく知られていますが、御本殿の前に植えられている梅は、その梅の子孫にあたる梅であり同じDNAを持っているとのことでした。最後に境内西側の紙屋川沿いにある「史跡御土居」(1591年に豊臣秀吉公が築いた土塁)を訪れ、350本の青もみじと、高台から青もみじ越しに夕日を浴びる御本殿の素晴らしい眺めを、時が経つのも忘れて堪能しました。